2014-09-01から1ヶ月間の記事一覧
9月5日(金)、ホテルを出て仕事先へ向かう途上 道央道の音江パーキングエリアに立ち寄る。 北海道深川市音江町字内園350-2に位置し、ログハウス風の建屋の中はトイレである。トイレ入り口前にはジュースの自販機がある。 旭川方 札幌方 この後砂川市へ向かっ…
9月5日(金)上川倉庫の奥に 大雪地ビール館を発見。ウィキ○ディアで「大雪地ビール」の項に上川倉庫の写真を「大雪地ビール館」であるかのように貼り付けてあるが、大雪地ビール館は上川倉庫の奥である。 4日(木)、ここへ来たかったのだが、ホテル着が21:00…
9月5日(金) 6:00頃、ホテルの前に この様な建物があった。何か匂うので撮影 帰宅後調べたら登録有形文化財の上川倉庫である事が判明。1913年築。 偶然写真に収める事ができて幸いであった。
9月4日(木)、ジンギスカン焼肉を食ってホテルへ戻る。 旭川は夜12時近くでもバスが走っている。 旭川はやたらタクシーが多い。左の白い建物は西武デパートだったと記憶。 これはオフィス街、緑橋通り。ジュンク堂書店が入居するフィール旭川という建物から…
9月4日(木)北海道といえばジンギスカン鍋である。30年近く前、学生時代に友人と北海道を放浪、その時サッポロビール園で食ったジンギスカンが忘れられず、「ジンギスカン、ジンギスカン」とうわ言を繰り返しながら探し回ったがなかなか見つからない。 つい…
9月4日(木)21:30ごろ、昭和通さんろく街なる場所へ到る。 道路中央に立つ緑とオレンジの塔がさんろく街のシンボルとのこと。 旭川のさんろく街は北日本有数の飲み屋街だそうである。写真では判りづらいが結構人出がある。 以下次号
9月4日(木)21:00ごろ旭川市へ到着。 旭川市は面積747.60K㎡、人口349,316人の大きな都市である(2013年9月末時点、市役所HP)。 個人的に旭川といえば、川村カ子トアイヌ記念館と神居古潭、有名人では玉置浩二(安全地帯)を思い出す。 ホテルチェックイン後…
9月4日(木)北海道出張、同行者1名。 飛行機を降りて新千歳空港の荷物受け取り場所で荷物を回収した後 予め予約済みのレンタカーデスクへ行くが、各社ほぼ無人、係員がいたのは2社くらいで、デスク備え付けの電話からレンタカー営業所を呼び出すようになって…
東京駅へ向かう道すがら この様な古風な建物を発見。長崎出身の筆者、こういう赤レンガの建物には目がないので早速行ってみる。 三菱一号館美術館であった。 カフェもあるでよ。 帰って調べたら、ジョシア・コンドル設計により1894年に完成した「三菱一号館…
8月25日(月)、新幹線の時間が近づいたので東京駅へ向かう。 東京という街は、都市美に溢れる街であるが なぜかこういうものが突然出てくるから面白い。 そして二階建て観光バスも発見。なかなか東京は刺激的な街である。
8月25日(月)第一生命ビルの隣にある 帝国劇場を見る。 大正時代の三越デパートの宣伝文句 「今日は帝劇 明日は三越」で有名な帝国劇場である。 ミスサイゴンをやっていた。しかしさすがは東京の劇場だけあって 観客もみな品がいい。 「皇居前」とうたって…
8月25日(月)有楽町駅を降りて皇居堀端へ行くと かの有名な第一生命ビルがある。左の茶色のビルは帝国劇場、右のクリーム色のビルは東京都丸の内警察署、少し行くと日比谷の交差点である。 この第一生命ビル、終戦後に進駐軍に接収されていた有名な建物であ…
8月25日(月)藤代から15両編成に乗って 上野へ到着。 上野駅コンコース。切符を見たら最大乗車できるのが 有楽町までだった。 貧乏人根性で用もないのに有楽町まで来てしまった。やはりここはネタ探し、東京勤務時に養った土地勘で近場ばさるく。 以下次号
8月25日(月)日帰りで 茨城県のJR藤代駅近傍へ出張 改札。首都圏とは思えぬ閑散ぶり。近畿圏の駅のほうがよっぽど人間がうじゃうじゃしておりこういう駅は個人的に好きである。 謎のオブジェ ここで迎えを待つ。 ひと仕事終えて帰る。 水戸方 上野方 そこま…
長崎大学散策も大団円を迎える 福利厚生施設 学生プラザ。 近くに学生会館なるものもあり。 学生会館玄関。生協が入っているようだ。 これら福利厚生施設を過ぎて正門に向かうと 教育学部がある。 長崎大学の狭いキャンパスの中で、工学部と、この教育学部が…
8月15日(金)、長崎大学さるき。水産学部から東へ行くと 薬学部。今回の長大訪問の主目的が実はここ。 トイレを借りに中に入るとロビーにひっそりと飾られた写真を発見。 旧長崎医科大学付属薬学専門部卒、2008年ノーベル化学賞受賞、下村 脩 名古屋大学博士…
8月15日(金)長崎大学文教町のキャンパス内ばさるく。 工学部。中部講堂の隣に位置。 中部講堂から入っていくと飛行機の機首がなぜか置いてあった。 環境科学部。工学部の向かい側にあり、環境科学部が出来る前は教養部講義棟として使われていた。個人的には…
8月15日(金)長崎県の高校生憧れの長崎大学を散策 正門。門扉はない。 長崎大学はじげもんからは 長大(ちょうだい) と呼ばれ、9学部1研究所と九州では九州大に次ぐ研究組織を擁する1949年に設立された総合大学である。 起源は1907年創立の長崎高等商業と19…
こちらが女子挺身隊がいた防空壕の 出入り口である。 内部へは入れず、柵越しに見学するようになっている。 戦後69年、ここにおられた方々も相当高齢となられたであろう。 そういや首相にして自民党の首領 安部は、今年も長崎までのこのこやって来て原爆慰霊…
8月13日(水)長崎県立図書館の下、長崎歴史文化博物館の上の崖に 防空壕跡がある。写真右から防空本部入り口、出口、女子挺身隊防空壕出入り口 見学に入る。はじめは防空本部から。 次は女子挺身隊の防空壕を見学。 以下次号
上野彦馬像のそばに 石碑があった。何が書いてあるのかさっぱり不明。 シーボルト記念碑とツュンブリー記念碑とある。 像と記念碑は長崎県立図書館の入り口、軽自動車がいる辺りにあり。右の白い建物は日銀長崎支店 日銀長崎支店前の塀には旧商品陳列所の案…
長崎の偉人といえば、活版印刷の本木昌造と 日本初の職業写真家といわれる 上野彦馬である。 長崎県立図書館入り口に像はある。何となく福沢諭吉を思い出したのであった。
8月13日(水) 30年ぶりに長崎県立図書館に入る。 1960年築、地上4階建て、敷地面積 3,798.34㎡、建物は古く敷地は狭いが 蔵書1,090,204冊(2013年度 図書館HPより)を誇り、蔵書数としては長崎県下 最大の図書館である。 これからも長崎の好学の士を数多迎え入…
長崎歴史文化博物館の 敷地内に体験工房が入った建屋があるが その一角にレストランがある。 レストランの名は銀嶺。古いじげもんにとっては懐かしい洋食屋であるが、支店を出したのであろうか。 ちょうど昼どきだったので入店。入り口の飾り メニュー カレ…
8月13日(水) 民営長崎歴史文化博物館の建物は 長崎奉行所を復元したものらしい 正面玄関 さるく人形 長中健児の像。 長中とは1884年創立の旧制長崎県立長崎中学、今の県立長崎西高である。長崎西高は県内最高のエリート高校で、私服通学が許されている長崎…
2014年8月13日(水)長崎帰省3日目、子供3人と妹夫婦一家4人を引きつれ 長崎歴史文化博物館を訪れた。 高校卒業と同時に故郷 長崎を離れたのでいつの間にこの様な施設が出来ていたのかとビックリ。何でも運営は公設民営方式だそう。 ロビー 長崎で亀山社中、…
さて8月12日(火)バスチャン屋敷の後は、 山を下ってドロ神父の墓を参る。墓は工事中であった。 ドロ神父、本名はマルク マリー ド ロ というフランス人神父で、1868年来日、1878年 出津教会に司祭として赴任、1914年長崎で死去。彼がここ出津の地で行った…
2014年8月11日(月)台風をやり過ごし10時間40分かけて839kmの道のりをクルマを運転し長崎へ帰省。 翌12日、外海方面を回る。まず出津教会を礼拝、次いで バスチャン屋敷跡を訪問。 このような林の中の道を2分ほど歩く。カンチャナブリのヘルファイヤパスへ行…
8月9日(金)新幹線乗車までの時間つぶしに皇居周辺の散策を楽しんだが台風も接近、作業着姿も暑いので 東京駅へ向かう 丸の内側は通勤時間帯以外はいつもゆったりしていて羨ましい。 日本の47都道府県の代表駅(沖縄はモノレール)でこれほど時間がゆっくり流…